12月23日 銀閣寺の参道の店でとろろ卵かけご飯の朝食を食べて、混雑を避けるためすぐに銀閣寺を参拝しました。
銀閣寺の正式名称は東山慈照寺。
臨済宗相国寺派の寺院です。
室町幕府八代将軍 足利義政によって造営された東山殿山荘でした。
義政は、生涯をかけ自らの美意識のすべてを表現、東山文化の簡素で枯淡の美を映す
一大山荘を作り上げました。
義政の没後、東山慈照寺となりました。
銀閣寺の名の由来は江戸時代、金閣寺に対し、銀閣寺と称せられることとなったといわれています。
目 次
門を入ると
門を入ると、白砂の砂盛り向月台(こうげつだい)と波紋を表現した銀沙灘(ぎんしゃだん)に圧倒されます。
数種類の幅がある、白い砂利で表現された波紋は、すばらしいです。
丁度お手入れをされていた庭師の方がいらっしゃったので、どうやって創るのか伺ってみました。
幅のある板をつけた棒を押して、縞模様を作るようなことをおっしゃっていました。
3日前に雨が降って模様がみだれたので、丁度その時になおしたそうです。
その方は
「龍安寺の庭より銀閣寺の庭の方が難しいのさ」 と、誇らしげに話されました。
確かにその規模と美しさに見とれました。
細やかな性格の日本人ならではの芸術です。
銀閣
観音殿(銀閣)は、二層からなっています。
一層の『心空殿』(しんくうでん)は書院造りで、二層の『潮音閣』(ちょうおんかく)は唐様仏殿の様式。
屋根の上には青銅製の鳳凰がいます。
ぱっと見た感じ、渋くて簡素な建物です。
大きな声で「銀閣寺なのに、銀泊は貼ってないんだー」と話している人がいました。
当初は銀泊が貼られていたが、はがれてしまった とか
銀泊を貼る予定だったが、財政事情により断念した とか
建物の外壁に月の光が当たると銀色に見えた など
諸説あるようですが。
平成19年1月5日に行われた科学的調査によって、銀泊が張られていた痕跡もなく、内装、外装とも黒漆塗であり、「創建当時から銀箔は貼られていなかった」ということが明らかになったそうです。
銀閣が簡素な建物だからこそ、庭園の設計の巧みさ、四季折々の自然の美しさが建物と見事に調和しているように感じます。
私は、この落ち着いた 静かな空気感がたまらなく好きです。
枯山水と苔 池泉回遊式庭園
銀閣寺の庭園は大変広いです。
錦鏡池を中心とした池泉回遊式庭園
銀沙灘、向月台(大きな砂盛)
それから、山の方まで境内の至る所に、様々な苔が生えています。
その緑がふさふさと茂る様子が本当にきれいです。
「わび」「さび」 というのでしょうか。
義政が貢献した東山文化は、質素や静かなものに奥深さや美しさを見出すものでした。
やはり京都 世界文化遺産 はスケールといい、芸術性といい 納得するものがあります。
かなわないことですが、室町時代に思いをはせながら、月明かりに映し出される銀閣や枯山水を眺めたいですね。(夜間の拝観はありません)
しかしながら、応仁の乱の直後にこの建設を始め、疲弊している人々に税や労役を課して造らせたため、義政は反感をかい、幕府は衰退していくのです。。。
栄枯盛衰
#銀閣寺 #東山文化 #足利義政 #苔