東洋のマチュピチュ 別子銅山 東平 にて産業遺産に心を動かされる ~愛媛県新居浜市~

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そこは四国の愛媛県、標高750mの山奥にあります。
この地に銅の鉱脈があることを発見したのは1690年のことです。

「東洋のマチュピチュ」
というキャッチフレーズで知られている別子銅山の跡地 東平。
産業遺産別子銅山の中でも今回は特にこの東平を紹介します。

なんて言っても雰囲気抜群の、何か心に迫ってくる風景だから。

 目次

東平 地区へ

道の駅マイントピア別子から離合困難な山道を車で25分。
  因みにマイントピア別子も鉱山の跡地で、当時の坑道内の再現やトロッコ列車が走っています。
東平地区の入場料は無料です。
運転に自信のある方はいつでもマイカーで行くことができます。
私達の場合は離合に自信がなかったことと、車に木の枝などの小さな傷がつきそうだったので、マイントピア別子からのバスツアーに参加しました。


東平の景色

東平の駐車場付近から

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まずは上から見るとこのような景色が見えます。
山深い場所にレンガの建物
こんもりとせまっている山が迫力あります。
なんと1916年~1930年までの間採鉱本部が置かれていて5000人もの人々が暮らしていたのです。
別の方角からは遠くに瀬戸内海が見えます。

 

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物資を運んだインクラインあとの階段を降りて下から見た景色
物資を運んだ索道(ロープウェイやゴンドラみたいなもの)停車場跡です。
雰囲気ありますね。

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先ほどの場所から少し上がった場所です。
頑丈なレンガ の遺構 です。
索道跡を後ろから見たものです。

写真がありませんが、選鉱場跡と貯蔵庫跡もありました。
男達が銅の採掘に山へ入り、女性達が採掘した石を選鉱場で分けたそうです。

長屋のような住居跡でかまどの跡がある場所もありました。

東平歴史資料館

東平歴史資料館には白黒写真やジオラマがあり、当時暮らしていた子供たちの笑顔や街の様子がわかりました。

大正時代に5000人も暮らしていたのですから、学校・プール・病院・郵便局・迎賓館・劇場・鉄道etc
様々な物がこの天空の街にあったのです。
涼しい風に吹かれながら想像が膨らみます。
ノスタルジーというか、繁栄と衰退のもの悲しさも感じます。

 

できることなら、個人で東平に行って、ゆっくりと周りに人がいない状況で散策したいと思いました。
天空に街を築いた当時の人々のエネルギー と 時の流れ をひしひしと感じました。
愛媛県新居浜市へ行くことがありましたら是非お立ち寄りください。

 

 

 

マイントピア別子から東平へのバスツアー
 ¥1350
 11時~  と13時~
 所要時間2時間
天候や催行人数が少ないと中止となることがあるので、マイントピア別子に確認・予約することをお勧めします。