奈良 興福寺 国宝館にある阿修羅は、1300年近い時を経てもなお魅力的

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奈良 興福寺 は、非常に多くの文化財を保有しています。
仏像にしぼると、日本国内にある国宝の約15パーセントが興福寺に所蔵されているようです。
奈良時代 平安時代と大きな力をもち、繁栄したお寺ですから。
驚きます。

目 次

 


その興福寺 国宝館 にある 

阿修羅像(あしゅらぞう)

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      興福寺 国宝館内のショップで購入したポストカード

阿修羅は、国によって 生命の神だったり、太陽神だったり、悪の戦闘神 となっています。

三つの顔と六本の腕
正面の腕は合掌
真ん中の腕は弓を引いているのでしょうか。

端正な顔立ちの美しさ  キリッとした表情に、どうしようもなく惹きつけられます。
あなたは、三つの顔を持つ阿修羅のどの角度が好きですか?
向かって左の顔は、唇をかむ子供の頃の阿修羅。感情が表面に出ています。
向かって右の顔は、そこから少し成長した頃でしょうか?
正面の顔は、悩みを乗り越えた青年の姿 という説があります。
自分は、駄々っ子のような表情も好きなので、左斜めからの阿修羅像が一番お気に入りです。

 

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  左斜め前から見た姿

 国宝館の中は、もちろん撮影禁止なので、国宝館のショップで購入したポストカードの写真です。

綺麗な顔から、見る人によっては、女性の姿でしょうと言う人もいるようです。


それにしても、1300年ほどの時を経て、すぐ近くで魅力的な姿を拝観できるということが、有難い というか、日本の文化の素晴らしさですよね。

 

興福寺阿修羅像の作者は

興福寺阿修羅像は、「乾漆八部衆立像」の中の一体です。
現在は焼失して存在していない西金堂において、ご本尊の釈迦如来像の周囲を守る様に八体並んでいたものです。
これら八部衆像の作者については “仏師将軍万福”と書物に記述があります。
“仏師将軍万福”は、百済からの渡来人です。

興福寺は、春日大社と共に繁栄しましたが、明治の神仏分離で打撃を受けて、一時はほぼ廃寺状態になりました。驚きます。
その後、文化財の素晴らしさから、
1998年12月には、興福寺とともに、奈良の街が世界遺産となりました。


迦楼羅像(かるらぞう)

「乾漆八部衆立像」はなんと現在でも八体すべて残っていて、
 (八部衆のうち、五部浄像は胸から下は失われました)
頭が鳥で体が人間の迦楼羅像(かるらぞう)も何とも言えない雰囲気を漂わせています。

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  国宝館内で購入したポストカードより

阿修羅像も迦楼羅像も150㎝ほどの身長で、国宝館の中心に配置されている5mほどの大きさの千手観音菩薩像のような圧倒的なものではありません。
八部衆は、ご本尊を守る役目ですから。
しかしながら、すばらしいんですよ。
出来栄えの巧みさ その容姿 醸し出す悲しげで力強い空気感
見る人の心に訴えるものがあります。
ずーっとその場に立ち尽くして眺めていたい衝動にかられますが、大人気のものなので、立ち止まることは許されなくて。
8世紀の奈良の都に思いをはせながら、国宝館を出ました。

2009年にブームとなった国宝 阿修羅像ですが、いまだその人気は衰えません。
癒し、懺悔 を求める人々の心に響くのでしょう。
令和時代も次の時代も、大切にしていきたい宝です。